行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

 

 

この世の無常を謳った鴨長明の方丈記、冒頭。

 

 

もう15年以上前に読んだ時から、うたかた(泡)が人の人生だったり、一瞬だったり、儚さと共にフラクタルな感覚が頭の中を気持ちよく混乱させてくれて、この一節につかまると今でもなかなかここから先に進めません。

 

 

 

過去、現在、未来と、私たちは直線的に考えがちですが、目を閉じれば明日のこと、子供の頃のこと、昨日のこと、未来のことと、まるで泡のようにふつふつと湧いてきます。

 

 

沢山の細胞がシナプスで網状に繋がる頭の中。記憶は直線ではない。そして時間さえも連続していない。

 

 

時は点在するもの。

 

常識は真実を隠します。

 

真実は内在します。

 

 

 

レモンを齧る想像をすれば口の中が酸っぱくなる。

 

 

過去の嫌なことを思い出せば、過ぎたことなのに今の気持ちが辛くなる。

 

 

楽しかったことを思い出せば愉快な気持ちになる。

 

 

願いがかなった未来の自分を想えばそれに励まされる。

 

 

 

 

意識が今の気持ちと体を動かしていく。

 

 

 

ふつふつと湧いてくる色んなうたかたのような時を生きている自分。どのうたかたを選ぶのかは自由。

 

 

その選択が、今の自分を動かす。

 

 

 

物体である体は、だから時間を持っていて、未来に向かっている。

 

 

 

その肉体をどんな気持ちで満たしていくのか。それは今の自分が選べる。

 

 

 

今は、過去の結果なら今の意識がこれからを作る。

 

 

 

私たちは、時間や場所のない意識の中でとても自由。

 

 

過去に何があったとしても、大切なのはそれを生きて来た自分自身の今とこれから。

 

 

 

 

方丈記はあのとき、そんなことを私に考えさせてくれました。

 

 

 

自分を大切にしようとする意志で、より愛のある強さ、正しさ、優しさを選択する。

 

 

自分を愛する。

 

 

 

 

読んでくださってありがとうございます。

 

 

愛と感謝を込めて