昨日からの続きのようですが、

 

では、死とはなんだろう。

 

 

永続する魂。

いつかは機能を停止する肉体。

二つを繋ぐのは感情。

 

 

感情は意志、本質の欲求が、満たされたとき、満たしたいとき、満たされないときに発生する信号。それが肉体を走り回り、喜び、怒り、哀しみ、楽しみを体感する。

 

 

人生は快楽のためだけにあるのではなく、肉体も自分自身の人生の実現のためにある。

 

 

しかしながら、一刻の刺激を求めて物、人、出来事、場所の間で情報に振り回され、感情による肉体の快楽に右往左往していくのは、肉体を持ちながらも死である。

 

 

ただ、肉体が動くならそこには命があり、命があるなら魂はそこにあり、埋もれた意志がある。

 

 

私がそうであったように。

 

私がそうであったなら、すべてがそうだ。

 

 

 

感情の電気の走る牢獄の奥深くにある青白い炎を観ようとすれば観えてくる。

 

 

それをそっとそっと救い出す

 

 

もう大丈夫。

怖くないよ。

もう終わったよ。

 

 

年々、人々はその深さを増してきた。と私は感じる。

 

 

だからこそ、私は考え、修正する。私のしたいことが実現出来るように。

 

 

このことは今分かり得る限りで私の根幹なのです。

 

 

私たちは感情ではなく意志、本質で生きることが出来る。例え肉体から離れても意志をもった存在でいられたら、肉体に戻りまた人生を始めるのも、未知なる探求を始めるのも自由。

 

 

今、生きながら肉体を離れ、時空を超えて他の人生を生き、また戻ることも出来るだろう。

 

 

自由自在になれる可能性を私たちは持っている。

 

 

肉体から魂が離れたらそれは死だけれども、自分自身がそこにあるかどうかの違いだけ。

 

 

そのときに魂に何を刻んで持っていくのか。この人生で得られた知恵。

 

 

道が示されたら、次は選択。

 

 

私たちは全て選択してきた。

何も間違ってはいなかった。

 

 

だからこれからも、自由です。

 

 

愛と感謝を込めて

 

この記事を書いた人

小坂田恵理
小坂田恵理
心の悩み・不安・痛みの開放と解決には心理カウンセリング。神奈川県藤沢市にて、心の健康を育てるカウンセリングを行っています。