絵を描いたり、美術品鑑賞も好きなことの一つです。

 

 

一つの絵から感覚や思考がごちゃごちゃとかき回され、混乱し、そして新しく組み立てられる。

 

 

数多くはないけれど、そんな感覚になる作品に出逢うことがとても楽しい。

 

 

 

絵や造形物からの情報を私たちは観念(物事に対する個人的な考え、感覚)として受け取ります。

 

 

観念を、概念(物事に対する一般的、共通的な考え)として伝えていくのが言葉ですが、その多元的な世界は、文字では表現しきれない。

 

 

文章では特に。

 

 

絵画と比べて言語、文字、文章は二次元的。一方向で直線。

 

 

絵画より便利だけど、個人的な感覚、考えを伝えるには制限があるなあ、と私はいつも思うのです。だからこそ、語彙力を高める必要もあるのでしょうね。

 

 

絵画に触れ縦横無尽に広がる観念を誰かと共有したい時のもどかしさ。

 

 

頭に蓋があったら、パカッと開けて覗いてみて欲しい。と思うことがたびたびあります。

 

 

こうしてコラムを書いていても、脳内に広がるものを、まずはザルで濾して、細い細い漏斗を通している、そんな感じ。

 

 

 

だからこそ、わかる。

言葉以外から発している内なる情報。

 

 

口調、間、呼吸、小さな動き、筋肉・・・

 

 

考えずに発している無意識の表現。言葉よりもそれらはとても雄弁で正直。

 

 

 

言葉や文章そのものは、目に見えて確かなもののようでも、考えて発するものは時に嘘をつきます。

 

 

真実はそこから受け取るものにこそある。

 

 

楽しかったよ

 

と言ったその語尾の、目の、ほほの、腕のあたりの緊張が、そうではなかったんだと、感じるように。

 

 

 

その相違が、何か違和感であったり、不自然さ、悩み、不安となって現れていく。

 

 

 

全てにおいて、真実はすでに、いつも、発せられている。

 

 

 

大切な人の、永らえたいもののそれを、そのまま受け取れるように。

自分を大切にする、愛する。それは真実に気付き、そのままであろうとすることです。

 

自分自身から。

 

 

愛と感謝を込めて

 

 

 

 

 

この記事を書いた人

小坂田恵理
小坂田恵理
心の悩み・不安・痛みの開放と解決には心理カウンセリング。神奈川県藤沢市にて、心の健康を育てるカウンセリングを行っています。