激しい感情が起こった時、同時に全身に電気が走ったかのような刺激がある。
感情の発散と共にその刺激も放出され、その時に爽快感のような感覚を得る。
これがスッキリする、ストレスを発散する、ということなのだろうか。
強い刺激の後のマヒしたような快感は、たばこ、お酒などともよく似ている。
また、激しい痒みや痛みが薬で止まった後の気持ちよさ、快楽。
それらは中毒になりやすい。
開放されるものがなければ、快楽は得られない。
その一時の快楽の為にストレスを溜め込む。
刺激と開放は一対。繰返せばマヒしていき、もっと強い刺激を求める。
そのループ。
感情は電気信号となり肉体を支配する。
私たちは知らず知らずに感情の中毒になってきた。
刺激が欲しかっただけではない。
刺激の後の解放感。それを喜びだと勘違いしてきた。
私たちは、痛み苦しみがなくては、幸福や健康を手にできないような存在ではない。
罪を告白し赦される解放感も中毒。
私たちは赦されなくては愛されない存在ではないはず。
愛には交換条件はない。
もう、感情の中毒になり刺激と開放を求め彷徨う人生は終わりにしよう。
ただ自分を愛し誰かを愛する、その喜びの中で生きていくことができる。
私たちは本来そんな存在なのだと思うのです。
愛と感謝を込めて