『自分と向き合う』

 

と良く聞きます。

 

心身魂、人生の健康さにおいて、向き合うことはあまり必要ではないと私は思っています。

 

むしろ、それは今まで随分とやってきて、辛いことではなかったでしょうか。

 

『向き合う』は、付き合い始めのうっとりした恋人同士のためのもの(笑)

彼らも相手との違いや共通点がわかってくれば、やがて向き合うことはなくなり同じ方向を向いて共に歩き出します。

 

 

向き合うと、視線が固定されます。

 

視線が固定されると思考も固定されていき、自由度を失います。

 

弱っているとき、行き詰っているときこそ、自由度を失うと不安になり、不安な心は自信をなくし、欠点探しをはじめます。

 

目的は、自分を苦しめることではなかったはずです。

 

 

誰かに相談されたとき

 

自分が困っているとき

 

 

そんなときこそ向き合わない。

 

苦しい時に苦しいことをする必要は全くありません。

 

自分が困っているとき、友人がそっと横にいてくれる。

そのときのように、ただただ、湧き出る気持ちをそのままに。

 

悲しみなら悲しみを

悔しさなら悔しさを

喜びなら喜びを

 

そのままにする。何も判断しない。

 

心は気持ちが湧き出るところ。それが唯一したいこと。

心がしたいことを自由にして差し上げるのです。

 

したいことをしていいんだ

したいことができた

 

その安心で心は満たされていきます。

 

心は誰かに、そして自分に、気持ちを分かって貰えると落ち着くところです。

 

欲しかったのは、安心です。

 

 

ホッとすると、心身は弛緩し、視野も思考も広がります。

 

自信も回復してきて、力も湧いてきます。

 

何をしたかったのか、思い出していきます。

 

 

目的は、そんな安心した自分だった。

 

 

 

心、頭、魂、体とわけても、自分はやっぱり自分なのです。

分からないはずがない。全てわかっているはずなのです。

理解し、一致させていく。

目的に向かって、同じ方向に進む。

 

心身魂のバランスの取れた健康的な人生は、そうしようと意志をもったときから始まります。

 

 

『向き合う』をしたいときには、健康的な心の状態で行うことをお薦めします。

色々あったけど、これでよかったんだ。

 

今、過去から得られることは、そのくらいのことです。

そう思えたとき、過去は全て昇華され、今と未来に繋がります。

 

 

愛と感謝を込めて