母の実家は山間の村にあります。

 

お墓参りの折に母の知人などに行き会うと

 

「湘南の方から来たんなら、ここは何にもないだろう」

とよく言われます。

 

謙遜かしら。

 

山があり川があり、家の前には畑があって、果樹もある。

ミツバチを育て、犬や猫は自由に歩いている。

収穫したものを加工する手作業がある。

お宅にお邪魔すれば、庭で獲れたもので大いにふるまってくれる。

お茶、お茶うけ、はちみつ、お菓子、くだもの・・・・

 

川では釣りや水遊び。山では山菜摘みや柴刈り。

 

時間はゆったりと正しく流れ、朝焼けから夕焼けまで太陽の姿が見えて

夜は月や星が嘘のように輝く。

 

優しくつながる人と人

 

収入もきっと多くはないけれど

コンビニや娯楽施設なんてないけれど

自然は時に厳しいけれど

 

今、出来ることあって

明日、食べるものがある

毎日を満足している。

 

ここには確かに豊かに暮らす人がいる。

 

 

勿論、豊かさとは場所や環境に依存するものではない。

 

それらと共にある。

今在ること。

不足感のないこと。

 

不安のないこと。

 

豊かってそういうことではないだろうか。

 

 

お金も含めたモノを求めると、失う不安が付いてくる。

そしてまた追い求め、時間や優しさを失う。

不安に追われる。それが貧しさなのかもしれない。

 

 

そもそも何故お金やモノを求めるのだろう。

 

それは、安心させたくて、安心したかったから。

 

 

目的はお金やモノではなく、安心だった。

 

今在る。

 

目の前の大切なもの、人。

目の前の仕事。

自分の体。

生きていること。

 

 

不安はそもそも現実ではない。

非現実は何も生み出さず、時間、労力を奪っていく。

 

不安のループは、今に目を向けたときに外れていきます。

 

安心は今という現実にある。

時も場も物も人も、今の自分に必要なものが在る。

求めることを止めれば、既に在る。

 

今こそが豊か。

 

 

豊かさは誰にでも気持ちの紙一重のところにある。

私はそう思うのです。

 

 

いつも読んでくださってありがとうございます。