愛犬を山に捨てる夢を見ました。

 

もう一匹、もっと可愛い犬がいるからもう要らないという理由でした。

 

しかし、すぐに後悔に苛まれ、すぐに引き返し取りに行けばいいのに、もういないかも、誰かに避難されるかも、と言い訳をしてぐずぐずし立ち止まり、これが夢だったらいいのに!と強く思ったら、だんだんと覚醒し、目のまえに愛犬が寝ていました。

 

 

とてもリアルで、夢の中の自分が衝撃的で、なんでこんな夢を見たのかと、しばらく考えていました。

 

 

実際にこの愛犬は山に捨てられていました。捨てた人はきっとこんな気持ちだったのかもしれない。そう思ったときに、もしかしたら、この仔を捨てたのは、古い私だったのかも、と考えてみました。

 

 

まるでパラレルワールドですが、私がこの愛犬をめぐるシステムを創ったとしたら。

 

 

愛犬をめぐって交差する二つの世界。

 

 

後悔に苛まれる体験をして得たことから、これからはこうして生きていこう、古い私の願う世界が今。

 

 

私がこの仔を招き、他の仔と一緒に愛している。

 

 

過去の自分を赦し感謝し、過去より進化し生きてる。

 

 

 

 

世界は自分が創りだしていく。全ては自分の分身。曼荼羅の世界。

 

 

だから、自分を愛するように全てを愛していく。

 

 

自分を愛することは全てを愛すること。

 

 

 

私たちは体験をするために生きている。

 

争い。

権力。

陰謀。

支配。

愛。

 

する側、される側も、一つの体験に過ぎず、学び知恵を得て進化するために場を創り出す。

 

それが出来るように投影された世界。学び終えたら幻想は消える。

 

 

自分の目の前に在るものは、全て自分の投影。

 

 

~であるべき ~するべき

 

価値判断は自分を分離させ、何かのせい、誰かのせい、となり、より複雑になっていく。

 

全ては自分自身の問題。無関心でいても消えない。無関心でいても無いことにはならない。

 

誰かが勝手に何かをしてくれるわけではない。

 

 

争い、権力、陰謀、支配を憎むなら、愛が欲しいなら、自分の中にそれらがある。

 

体験し、気付き、熟考し、智恵を得て、もうその体験は必要ないと、次にいくだけ。

 

 

世界のシステムは魂に刻む学びを得る為に、自分自身が創りだしています。そう考えると、とてもシンプルなのです。

 

 

愛と感謝を込めて