度々このコラムでも登場する和裁の先生は、そろそろ米寿で、山形県ご出身。お話が大好き。
幼い頃の暮らしをよくお話ししてくださいます。
窓から何も見えないほどの雪。
真っ白の他、色が何もない世界。
雪の中、泣きながら学校へ通ったこと。
半年間、じっと春を待つ日々での家の中の過ごし方、食料の備蓄、雪の歩き方。
春の到来のはじける喜び。
今はそこから1世紀も経っていない。ほんのちょっと前のお話です。
生きるに必要なのは、モノやお金に頼ることではなく、如何なる時でも生き抜く知恵なのだと学びます。
知恵により、モノやお金はより便利に活きていく。
過去から学び、先を予測し、今準備する。
それは毎日の過ごし方でも同じだな、と思うのです。
自分が穏やかでいても、出来事は起こる。
そのときに、
何かのせい、だれかのせいにし感情に振り回されこじらせていくのか。
立ち止まり諦めるのか。
自分の学びと受け取り、熟考し、励ましながら耐える、立ち向かい切り拓くのか。
私たちは日々無意識の選択の連続。
その無意識の思考が、大きな出来事のときに露呈する。
そのとき、どう考え、行動するのか。
毎日、練習できる。
無意識を意識化する、それはそんなに難しいことではありません。
たまに逆の手で歯を磨いてみる。
どっちの足から靴を履いていたか、知ってみる。
そんなことからでもいい。
今までの当たり前を知り、選択しなおす。
それらは、どんな小さなことでも、現状を打破していきます。
どう生きても、何を選択してもいい。
何かに縛られていたと気付くと同時に、自由だったと気付く。
意志を持ち選択する自由の中で生きるなら、それが例えば、諦めを選択したとしても、何かに振り回されて右往左往し続けた今までとはステージがまるで違う。
生きる力。
毎日毎日、一瞬一瞬、意志と共に育てることができます。
愛と感謝を込めて