この半年、実家のある茨城での生活や度重なる冠婚葬祭によって、実家の家族と今までになく密に交流しています。
23歳で一人暮らしを始めてから27年、物理的な距離に見合った関係で過ごしてきたのでその濃厚さは新鮮な体験で学びでもありました。
一つは母との関係から。
母はとても社交的でおしゃべり好き。
時に一方的にしゃべり続け何の話しているのかわからなくなることがあり、そんなとき私はとてもイライラしてきつく当たってしまいました。
『なんの話しているの?』
『焦らないでゆっくりしゃべって』
そのうち面倒くさくなって聞き流したり、席を外したり。
ひどいですね。
自分自身もとても嫌な気持ち。
でもそれは母がちゃんと話をしないせいだと、無意識に母のせいにしてました。
そのうち小さなころに母に言われた嫌なことを思い出し、それもまた腹が立ってくるわけです。
『今、私がお母さんにきつく当たるのは、あのときこんなこと言われたからだ。お母さんが悪いんだから。お母さんが直せばいい』
そんな気持ちになって、また辛く当たってしまうループに陥り、どんどんとイライラが募っていきました。
ハタと、自分の不快な気持ちに気が付いたとき、少し気持ちを落ち着かせどうしたいのか考えました。
本当は。。。母に優しくしたい。
母だけではなく、誰であっても目の前の方の心に少しでも優しさが増えるような、そんな風に接していけるようになりたい。
私、そう思ってた。
母も、実家近くに住み始めた娘夫婦が嬉しくて、沢山話したくて、沢山教えたくて、離れていた時間を埋めるように、話したいことと気持ちがあふれてしまう。
きっと、そんな気持ちだったんだろうな。
母の気持ちを無視し、行動で判断してしまっていた。
自分だけでなく、きっと母もさぞかし嫌な気持ちだっただろう。
そんな片鱗も見せずにいつも笑ってくれている母の心の篤さ、優しさにも気づきました。
私がしたい姿を見せてくれているかのようです。
私は、誰にでも優しさで接していけるようになりたい。
自分の本当の気持ちに気づいて気持ちが楽になりました。
今、私がしたいことが出来ないことと、
過去に母に嫌なことを言われたこととは全く関係ないことなのです。
過去に原因があってそれが変わらなければ永遠に希望が叶わない、なんてことはないのですから。
仮にももし、過去の気持ちを母に話して、今の母を嫌な気持ちにさせたり、または謝ってくれたとしても。
それだけで良いわけではありません。
それはただの八つ当たり、ひどく言えば復讐、よく言えばその場しのぎのただの癒しにすぎません。
それが目的ではありません。
私はただただ『今』母に優しくする、そんな自分になりたいのですから。
これからしたいことをしていくのは、過去を乗り越えた今の自分です。
今、自分が不快な気持ちになってしまったのは、
したいと思うことに自分が精一杯協力していなかったから。
どうやら脳は、今心にある気持ちに合わせて勝手に過去や未来の出来事に関連付けして思い出してくる。
それも単純に、快か不快かだけの基準であれやこれやと。
不快に気持ちになれば、過去の、悲しさ、寂しさ、後悔、怒り、未来への絶望の記憶。
快い気持ちになれば、感謝や達成感などの優しい記憶や、明るい未来への希望のイメージ。
ですが一度思い出したあと、繰り返し繰り返し思い出してその気持ちにさせているのは、脳ではなく最終的には自分の選択です。
自分が繰り返し思い起こし気持ちを増長させていくのです。
誰かのせい過去のせいにして、自分がしたいことをしないで、さらに嫌な気持ちになってしまう。
これはとっても生きづらい。
過去に原因を求めるセラピーやカウンセリングで、そのとき癒される気持ちになるだけで治らないのは、根本解決ではないからです。
辛いこと悲しいこと、悔しいこと、それらを乗り越えて生きてきた自分自身が、今をどう生きるか。
大切なのは『今』です。
原因も『今』にあります。
原因がなくならなかった理由も『今』にあります。
『今』の気持ちが過去や未来に影響します。
『今』の自分にすべてがあるから、だから治せるのです。
今、優しい気持ちがあるならば、過去も未来も優しい気持ちで考えられます。
今の瞬間に、過去も未来も創造しているとも言えます。
いろんなことがあったけど今までなんとか乗り越えてきた。きっとこれからも大丈夫。
そんな風に自分を応援出来たら、生き易さが生まれてきます。
私も母に優しく出来る自分になるように、したいことが出来るように、もっともっと自分の味方になることを頑張ります(^^)
あなたの今、心にあるのはどんな気持ちですか。
もし不快な気持ちなら、
あなたの本当の気持ちを見つけようとしてみてください。
今日も読んでくださってありがとうございます。
愛と感謝を込めて