常陸大宮市に住み始め一年が経ち、先日初めて猪に遭遇しました。

運転する車の前を、山から谷へ一直線に横切っていく、狭い道だから一瞬の出来事。(注:写真は借り物です)

 

そのとき湧いてきた気持ちは、ほんのりとした愛しさでした。

我が家のワンコを見ているときと変わらない、命だな。

ただ一所懸命に生きている。

 

もうすれ違うこともない猪を今でも時折、身内のようなあったかい気持ちと共に思い返したりしています。

 

しかし一方では、農作物を荒らす害獣として駆除の対象となっているのも事実。

 

 

ふつふつと湧いてくる私たちの矛盾。

 

動物愛護を唱えながら、動物園に行き、肉を食べ、動物実験を繰り返し

子供に性教育を行いながら、性産業は蔓延し

貧困を知りながら、物を消耗し続け

飢餓で亡くなる子供に同情しながら、美食を求め

弱い者いじめをしてはいけないと言いながら、戦争を続けている。

まだまだある

 

家畜の餌となる穀類を人類に回せば、飢餓はなくなる。

人間の健康、長寿や美食のためだけに犠牲になる動物はいなくなる。

戦争がなくなれば、多くの問題がなくなる。

 

わかっているのに止められない私たち、間接的にそれらに加担している自分に対して、ふぅっとため息がでる。

 

仕方がないというわけではないけれど、動物、人の犠牲の上で恩恵を受ける利己的な社会があるのは私たちの精神性がまだまだ未熟だからです。かといって諦めてはいません。精神性の変化、成長、向上、進化への正しくも長い道のりの途上なのですから。

 

私たちは自由意思をもっていますが、明確な指針となる希望や目的がないと、選択に自信が持てず、ただ本能的な自分の欲を満たすに留まります。

 

肉体の欲や利己的な考えに固執し、自分の精神性の成長進化を止める思考停止状態でいることが真の問題なのです。

 

矛盾に気が付いたとき、それは自分の成長のときです。

矛盾は抱えていると迷いになりますが、どちらかを選べれば迷いはなくなります。

自分の矛盾に気が付いたなら、何を目的に何を選択するのか、しっかりと思考するときです。

 

不思議なことに人って、自分だけのことを考えていると、苦しくなっていきます。

逆に自分が苦しい中にあっても、未来の希望や誰かのためにと考えていると、優しい気持ちになり力が湧いてきます。

それって私たちには正しく目指すべき方向があるということだと思うのです。

 

物質的で利己的なのか、それとも他者に愛を向け合うのか。

今、どちらの自分、どちらの明日、どちらの未来を選ぶのか。

 

 

社会的問題、困難、病などの現象を悪として一気に制限したり禁止したり排除するだけでは、結局は、社会問題にとっても個人の問題にとっても一時しのぎにしかなりません。

 

今、世界が抱える問題が、自分の病が、抱える困難が、もう起こる必要がなくなるように、毎日の選択をし直していく。

 

その努力を積み重ねが心身の調和、地球上の生命の調和のとれた未来を作ります。

その意思をもった選択の一歩一歩が、必要のないものは繰り返す必要がなくなる根本改善を実現していきます。

 

それは今日、明日、一年後かもしれない。

数年、数十年、数百年後にいつか叶う遠い未来かもしれない。

それでも自分が今、意識的に新しい行動を始めたらならそれだけ未来は近づきます。

 

時に間違えたり、落胆したり、疲弊しても、そんなとき一旦休んだら、また諦めずに自分の歩みを続けていく。

その道のりが私たちの精神性を高めてくれます。

 

卵とにわとり、どちらが先か。

成長を目指すからこそ困難があり、困難があるからこそ成長と進化がある。

 

いつも矛盾の葛藤のなかで学び成長し、進化をしていく私たちです。

きっと生きていくうえで困難はなくならない。

しかし、困難は次第にチャレンジに変わっていくでしょう。

 

今に落胆せず、諦めず、迷った時こそ指針を『より大きな愛』に向けていく。

 

そして常に愛の未来を創造していこう。

 

 

猪との出逢いからの熟考でした。

いつも読んでくださってありがとうございます。

 

 

愛と感謝を込めて