人に迷惑をかけないように、と気を遣い疲れてしまうばかりだったけど
気が付けば、誰かを思いやることが自然に出来るようになっていた。
人に嫌われたくないから、どんなときでも自分が悪いんだと我慢していたけど
いつの間にか、人の幸せを祈れるようになっていた。
自分は出来ないから、と人よりも何倍も何倍も頑張って倒れてしまったけれど
あの頑張りがあったから、今自分を知ることができて、人の苦しみがわかるようになってきた。
体験は人を成長させます。
心が育っていくと、人に対しても優しさや愛のある思考や言動が、自然に出やすくなっていきます。
決して今まで優しさや愛がなかったわけではありません。
もっと幸せになりたい
自分をなんとかしたい
困難さのなかになって、その気持ち一つ持ち続けてここまできた。
その気持ちが最大の自己愛だったのだと私は思います。
その愛で自分を助けてきた。
その小さな灯がどんどんと大きくなって、人の痛みや苦しみがわかる優しさ、愛が育ったのだと。
振り返れば困難さとは、自分を育てる機会でもあったのです。
大切なのは、体験の大きさ小ささではありません。
小さな石ころに躓いたことから真理に気づく人もいます。
大きな病を患っても何も考えず誰かのせい、何かのせい、にする人もいるでしょう。
また、成果をあげたか、達成したか、という結果でもありません。
その体験を、どのような気持ちでどのように過ごしたか、です。
人生の分岐とは、考え方の分岐なのですから。
自分に起きた出来事を不運だと思うのか
自分の成長のため、人生を変えるための機会だと考えるのか
不運と考えるなら、出来事は偶然となり、神様のせいにして恨み言をいい、誰かの助けが来ることや、それが過ぎ去るのを待つばかり。
または、そもそもその出来事は自然に発生したのではなく、自分自身が起こした、必然だと考えていくとするなら。
困難さは、自分がもっと生き易くなるための、成長と進化の機会でもあると日々過ごしていく。
意識のずっと奥深いところの無意識。そこは命により近いところ。本能。
命はただ生きることをしている。
そこが、生きていきたいために生きづらさを起こしているならば、
今、自分の問題なのです。
自分の問題ならば、なおすことができる。
生き方とは、考え方です。
考え方とは感情や気持ちではなく、思考。
考え方が実際の行動を生み出していきます。
生き方は自由です。
私たちは意識的に、無意識的に、毎瞬毎瞬選択しています。いつも分岐点に立たされています。
選択の鍵は、目的です。
どうなりたいか。
そのための最善の選択の積み重ねは今から始めても遅くはありませんね。