依存、依存というが、そもそも依存って何?

 

検索すると
「 他のものにたよって成立・存在すること」

 

とあります。

 

薬、食べ物、買い物、恋愛などの人への依存。私は、病院に行けば確実に依存症と言われる問題だけではなく、依存の幅はとても広いと感じる。

 

何故なら、依存とは、自分で出来ることを自分には出来ないと思い込むことから始まるから。

 

私の属する日本心理カウンセラー協会でも、依存とは「自分を安心させる力がない」と定義されています。長いカウンセラー生活と実体験で、なるほどと納得します。

 

そもそも依存も、根本原因から発生する一つの状態のなのです。

 

人には出来ること出来ないことがあるんだ、というセリフを良く聞きます。

 

それこそが社会的に陥っている催眠、思考停止状態。そんなこと、誰が決めたの!?

 

 

出来る出来ないの前に、やってみたい!という純粋な気持ちがあったはず。

 

それいいね!

 

純粋にその気持ちに自分が共感してみると、そこはかとなく広がる暖かい気持ち。

 

わかってくれた

 

その安心感。

 

そこから自分自身の自立が始まり、他者との依存が共存となっていく。

 

 

共存とは、
「二つ以上のものが敵対することなく、生存したり存在したりすること」

 

自分を安心させる力で、お互いを安心させ合うことが出来る関係。

 

 

それが、自分から、パートナーと、家族、友人、地域へと輪が広がっていくのです。

 

物事はとてもシンプルです。わたしたちの心と同じように。

 

自分がみる世界は、自分の内面の写し鏡。

 

だから、これから自分がどのようにも変えていくことが出来る。変容させながら本来の丸い自分に戻っていく。そんな力を持っている私たちは、出来ることが限られている存在ではありません。

 

想像してみて。したいと思っていることが出来たときのことを。
今難しいと思っても、修正しながら、少しづつ、想像してみて。

 

その喜び、安心が広がる光景。忘れないでほしい。その中心に自分自身がいつもいることを。

 

 

今、ネットにより文字の情報が蔓延し、依存という言葉にも過敏になっている傾向がありますが、依存と共存は人が人と関わる中である程度その境界はあいまいであっていいと思うのです。

 

甘えたいときもあれば、甘やかしたいときもあり、哀しみにひたっていたいときも、優しくしたいときもある。厳しくしたいときも、叱られたいときもある。

 

凸凹とした者同士が、そのときに足りないものを補ったり、したいことをさせてあげたりしながら人は気付き学び、丸くなっていくような気がするのです。

 

優しさに触れて、優しく強くなる。

 

人とは、自分が思うよりもっと優しいものです。きっとあなたが誰かを想うのと同じように。

 

今日も読んでくださってありがとうございます。

 

愛と感謝を込めて