例えば、赤い色があって、私が見ているこの色が、他の人も同じ色に見えているなんてわからない。私にとっての赤と、誰かの赤は実は違うかもしれない。
幼いころ、そんなことを考えていました。
昨日会った治療家の友人も同じような疑問をもっていたと聞き、嬉しくなりました。
物はそのものが放つ光の反射で見える。その光源は波。波の受け取り方で微妙に見え方は変わってくる。
私の見ている赤、誰かの見ている赤はたぶん微妙に違うが、相対的に見ることが出来ない限り、それを検証する術はない。
同じものを見ていても、決して同じではなく、違う景色が広がっている。
まったく別の世界、別の宇宙をそれぞれが持っている。
私はそこに幼い頃からとても面白さを感じてきました。
石ころで躓いて転んで
すぐに起き上がりスタスタと歩きはじめる人
その痛さをずっと引きづる人
なんでここに石があるのだろう、と哲学的に考える人
同じ現象でも受け取るものによって全く違う。
現象だけでは、その人の内面で起こっていることは図れない。
ただ一人、その時にどう感じ、どんな気持ちで、何を思ったのかをありのままに知ることが出来る。
それは誰と比べることもなく、比べる必要もない、絶対的な真実。
自分にとってそうならば、他の誰かにとってもそれはそうなのです。
その真実を持って、違う真実を持つ誰かと、同じ現象をどう生きるのか。
互いに違うことを知り、そして、共有する問題点をみつけ協力し応援し合う。
自分にとって、そして誰かにとって、いつもまでもそのようにありたい。
無垢な疑問は今でも私に果てなく続く波紋となっています。
愛と感謝を込めて