ずっと以前、アントニオ・ガウディの建築物を直に見る為にスペインのバルセロナまで行きました。
自然を愛していた彼は精神性、哲学を建築で表現しようとしていました。だからなのか渦巻きのモチーフが多く施されています。
螺旋階段も彼の建築物では必見の構造体です。
螺旋階段は上から見ると平面のアンモナイトや台風のように見えます。
階段にさえも自然界の美を投影していたのですね。
人生はよく螺旋階段に例えられます。
螺旋階段を上ることは距離は時間を含む。それは肉体。
螺旋階段の外側を歩けば、直径が広がり、距離は伸びる。
芯の近くを歩けば最短。
螺旋階段の芯はただそこにあって動かず、何も支配せず、ただある。
20代のあの頃には人生にとっての芯は何なのか分からなかった。
芯は、過去から未来まで一貫し、上から見ればただの一点。
距離も時間もないところ。
それは意志、精神性だと今なら答える。
芯が脆弱なら全体はもろく、他に寄りかかりたくなる。
誰かの螺旋階段が羨ましくなる。
その階段を、その人生を選んだのは自分自身。
どうデザインをしてもいい。途中から変更してもいい。
意志を今から持つことで階段全体が整っていく。
そこをただ自分自身と共に登ることが喜びなのだと、今の私は思うのです。
ガウディの螺旋階段には直立する芯を持たないものが多いのです。
芯は無い。見えないけど空間としてある。
階段は肉体、モノ、場所、時間
芯は精神性、魂。
階段があるからこそ、見えない芯が存在する。
何やら奥深い凄さを感じる人工物なのです。
いつかまたガウディの胎内に入ってみたくなりました。
愛と感謝を込めて