正しい人生、間違った人生。

 

勝ち組も負け組。

 

そんなものはあるのだろうか。

 

 

~しなくてはいけない、~してはいけない。

 

一体誰が決めたのでしょう。

 

 

優しさも、無関心さえも、ただ態度の体験。

 

自分が選び、体験したいことをしている。

 

感情も状況もその中の現象に過ぎない。

 

 

誰かの選択を止めることも判断することもない。

 

どんな生き方でも、すべてがこの世界の曼荼羅を構成している。

 

正しいこともなければ、間違ったこともない。

 

 

 

それなのに、人は常に誰かを何かを判断し生きている。

生き辛さと共にさらに自分自身に価値判断を下し始める。

 

 

 

自分は間違っていた

 

こんな自分を変えなくちゃ

 

自分には無理だ

 

 

それさえも体験。良いも悪いもない。

 

 

し続けたかったらしてもいい。

でも、治らなかったら、それは方法が違うのかもしれません。

 

 

どんな方法があるのか分からないなら聞いてみる。

 

 

友人、親、占い、医者、セラピスト、カウンセラー・・・

 

 

自分が必要として選ぶなら、すべては今の自分に必要な存在となる。

 

 

 

自分自身に価値判断を下しても治らなかった生き辛さ。

 

それは自分自身がダメだからではありません。

 

他に方法があるということです。

 

 

やってみてダメだったら、また他の方法を探してみる。

 

思考し行動する。

 

 

その自分への協力こそが、もうすでに『生き易さ』そのものなのです。

 

 

そうか、やってみよう。

 

 

そんな気持ちが自然に湧き、心身魂の一致した生き易さのターニングポイントを創造するのがルームソルの約割りです。

 

 

 

愛と感謝を込めて