人の本質は愛である。

 

愛。そのものの価値を認め大切なものとして慈しむこと。

 

誰かのその気持ちで愛が育ち、自分も誰かをも同じように愛していく。

 

それによって魂を成長させていこうとする。

 

その成長のために困難も含め様々な体験がある。

 

困難はただの困難ではなく、自分を成長させるための挑戦である。

 

だからこそ、その困難を一切なくすことは誰にもできない。

 

困難さは望んでは来ず、必要なときに必要なだけやってくる。

 

魂の成長。

 

 

これはもうシステム、摂理なのだと私は信じている。

 

 

 

しかし、必要以上に自分自身を苦しめることは自身の成長のために必要ではない。むしろ、成長を阻んでしまう。

 

~であるべき

~こうしなくてはいけない

古い習慣、宗教、社会、家族の小さな概念は過去からつながる人間の思考の習慣である。

 

もちろんその概念が外れることで自己愛を取り戻すことが出来るが、気づかずに右往左往し続けることは成長を妨げさらに自分自身を傷つける。

 

自分自身を苦しめることは、困難でも何でもない。

ただの思考のバグである。

 

 

しかし、バグなら治せる。

 

バグに気づき、自分を愛すること。ただひたすらに。

 

それは自分自身だけが出来る。

 

 

バグも自分を愛することも分からないときは、自身の気持ちに目を向けて欲しい。

 

今よい気持ちがあれば、今自分を愛している

不快な気持ちがあれば、自分が自分を不安にさせている

 

不安に気づくことが自分を愛する一歩です。

 

 

心を育てることは、自身の愛に気づき、愛を育て、人としての善を高め、自身の魂を成長させていくことになります。

 

 

自分自身の本質がしたいことが出来るようにして差しあげることが私たちの役目。

 

今は信じられないかもしれないけれど、私たちすべての本質は愛なのです。