今年の後半、対面カウンセリングをお休みさて頂いていた期間のことを書こうと思います。

 

長文ですがお付き合いくださいね。

 

実は、2019年の7月から病で終末期を迎えた伯父の人生のお手伝いをしておりました。

 

晩年独居で後をみてくれる人もおらず、代々受け継いだ田畑山林の始末に困っていた伯父。

 

後先短い老人の考えることではない、最期を不安の中で過ごしてほしくない。と、夫婦で伯父の家に乗り込み、遺される物の整理始末と伯父の看病を引き受けることにしたのです。

 

それまで孤独で周囲とのトラブルも絶えず、人生を諦めるように生きていた伯父も、同居する中で徐々に荒ぶるものが消えていき、周囲が驚くほどに穏やかさを取り戻していき、私たちに最期を看取って欲しいというのが伯父の最期の願いとなりました。

 

出来ることがどんどん少なくなっていき、身体機能もみるみる衰えていく、子供の成長とは真逆の工程。

 

最期は呼吸だけとなり、それもゆっくりゆっくりと、そしてある一瞬でそれも止まる。

 

伯父は肉体と命で精一杯、私たちがしたかったこと全部させてくれて、見たかったことを全部みせてくれました。

 

 

死とは時に残虐で悲しいことではあるけれど、視点を変えたら肉体という不自由さから生まれ出る、人生という過酷な産道を潜り抜けた、まさに魂の誕生であり、あの世界では祝福だと私は考えています。

 

伯父とは最期の日々、嘘や誤魔化しをすることなく、そのような観点で話をすることができました。

 

『もうどうせ永くはないんだ』と、伯父が自暴自棄になったとき、
そうだね、いつかは死ぬ。おじさんも私も。でも今は生きている。今を生きよう。

 

危篤のとき、
伯父さんの最期の仕事だよ、肉体から離れるには痛みが必要なんだ。でもこれは懐かしい人たちみんなが通ってきた道だから伯父さんにもきっとできる。

 

そして息を引き取ったとき、よく頑張ったね、おめでとう。最後まで立派でした。と静かに祝福と共に拍手で見送りました。

 

臨終の際は私達二人で見送ることができ、唯一の約束を果たせたことが何よりの伯父への応援になったと思います。

 

数か月の介護ではありましたが、私達夫婦にとっては人生の宝となった体験でした。

 

毎日の変化を必死で駆け抜けた感じです。大変だったといえば大変だったし、充実していたといえばそうかもしれません。

 

自分の中の嫌な感情や思考とも思いっきり対峙し、そして立ち止まらず前を向く。その繰り返しの毎日だったような気がします。

 

自分の中にまだまだ柔らかくなれる部分があったことに嬉しさを感じています。

 

 

 

当初は常陸大宮市の土地家屋を手入れしながら神奈川との二重生活の予定でしたが、しばらく住むうちに夫婦二人で新しい生活をまた構築していくチャレンジをしたくなり、完全に常陸大宮市に引っ越しをすることになりました。

 

二人がそれぞれに自然にそのような気持ちになっていったように思います。

 

そもそも、いつかはどこかで土と緑と水のある環境でのんびり暮らすことを目標にしていたので、当然といえば当然の結論だったかもしれません。

 

ただ、想像していた「のんびり」とは程遠い忙しさもあります。

 

土地の整備、畑仕事、ご近所付き合い。

 

作業は天候に左右され、外に出れば誰かに話しかけられ、街では自分の気持ちとペースでなんでもしてきたことが、なかなか進まない。

 

その代わりに気長に待つことや、人の温かさに触れることの体験。そんな面白さがあります。

 

私は伯父が残したフィールドを使って、

 

あ、ここ綺麗だな、また見に来たいなって思ってくれるような景色。

そして、人々が活き活きと仕事をする場所。

 

を作っていこうと思っています。

 

 

私達の住むこの地球はもっともっと美しくなれると私は信じているのです。

 

こんな風になったらいいな、こんなのがあったらいいな

 

その思念の結果が今の世界です。

一人一人が創造主です。

 

想像したときに

 

嬉しくなるような

ほっとするような

明るくなるような

 

そんな景色や場所や物は、それが実現した時にやっぱり、嬉しくて、ほっとして、気持ちが明るくなります。

 

思念が未来をつくります。

 

気持ちが起こればそれはもう未来において実現しています。

 

 

 

私の信念は20年間変わらずずっと『一人一人から地球美化』です。

 

今も美しいこの世界。そしてもっともっと美しい環境を未来に遺していきたい。

 

そのために、一人一人が自分の本質に気が付いていくことが何よりの早道だと信じ15年間心理カウンセリングを行ってきました。

 

これからのチャレンジもその延長です。本質は変わりません。

 

 

私達生き物には命があって、皆、生きようとする本能があります。

 

そして本能的に、自分より未来を生きる子を生かそうとします。

それは人の言葉で言えば『優しさ』なのかもしれません。

 

命あるものはそんな優しさが備わっています。

自分を生かすために、誰かを生かすために。

 

そして唯一人には、意思があります。

 

生きる安心が伴えば、善意を持ちやすくなり

不安でいっぱいになると、その感情に負けていく。

 

どのような意思を持ち、何を実現していくかは人それぞれの自由です。

本能の肉体の欲求が満たされれば、善意を持ちやすいのは確かです。

 

しかし、意思とは本能ではないので、危険な環境下であっても不安に負けず、善意を維持することができます。それは自己を愛する意思、思考によって。

 

私達の真の生きやすさを作るのは、環境ではありません。

 

自分を助けたい

人を助けたい

 

過酷な環境であっても、より良くしていこうという意思とそれによって生まれる安心が安全な環境を作っていきます。

 

 

すでに優しさを備えた生命の溢れるバランスの取れた美しい地球。

 

そこに意思を持った私達は、それを破壊することも、維持継続し、より美しさを創造することも、すでに一人一人の中で始まっているのです。

 

自分の中にある想像は、今、自分を快い気持ちにさせているのか
それとも、不快な気持ちにさせているのか

 

自分が今、何を想像し、自分を今どのような気持ちにさせているか。

 

健康と不健康、幸福と不幸は、ただそれだけなのです。

 

大切な人のために未来に何を残すのか。

自分のために今何を想像するのか。

 

自分から、一人一人からより善意の溢れる世界にしていこう。

 

伯父との時間と新しいチャレンジによって、私の信念と、自分がそうであることを再認識できました。

 

それもまた全てをすべてに感謝なのです。

 

 

読んでいただき、ありがとうございます。