喜びも悲しみも怒りも、感情に浸れば過去に生きることになる。

 

今ある感情は過去の余韻。

 

人は良い感情を好み、不快な感情を嫌う傾向があるが、すべては肉体の本能の信号。

 

過去の体験から、不安を感じ、不快な感情で知らせる。

放置したなら肉体は不安を感じたままになる。

 

また、新たな体験による感動は喜びをもたらす。

しかし、それらも感じた瞬間からすでに過去の体験である。浸り続ければ中毒になる。

 

私たちを楽しませるのも、苦しめるのも、感情だ。

 

 

しかし、生きることを選択し続ける限り、肉体とは切り離すことは出来ない。

この生きる苦しみから逃れられないのだろうか。。。

 

考えに煮詰まったときは、概念を広げてみる。

 

 

意味あって肉体での人生を選んだきた魂という概念。

健全さの追求は、この概念まで考える必要がある。

 

魂とは成長と進化をし続け、そのために不自由な肉体を体験し、それを知恵に変え、魂に刻んで次なる旅へと向かうのだとしたら。

 

そして、それこそが自分自身だとしたら。

 

不快な感情が辛いのではなく、そこに浸り続け過去に生き、成長と進化を止めていることが、真の苦しみではないだろうか。

 

肉体の人生を選んだからこそ、いかなる体験と感情でもそれを否定することは、これを選んだ自分自身を否定することになる。

 

正すべきは肉体の機能ではなく、自分の自分への態度だ。

 

感情を体験したならそれが自分にとって何なのか、何からくるのか、これからどうしたらいいのか、を考える。

そして、はい次へ!と思考を切り替える。

 

気持ちの切り替えができない、いつできるようになるのか、いつこの試練が終わるのかと、待つ必要はない。

 

これは練習。訓練。

 

健全になればなるほど、この切り替えが早い。

健全になるためにも、切り替える。

 

今とは思っているよりずっとずっと、限りなくゼロに近い瞬間、刹那なのだ。

 

感情を速やかに終わらせて、次に向かうことが未来を生きることになる。

切り替えが早くなればなるほど、健全になればなるほど、未来には不安はなくなる。

それは未来の体験の準備にもなる。

 

未来とは、未体験。そこに感情はまだ発生していない。

 

困難も、喜びも、そこから学ぶべきものがあるからこそ、自分自身が欲し、起こしていく。

 

どんなことでもドントコイ!

強くしなやかだ。

 

 

肉体から感情を切り離すことはできない。

肉体と魂を切り離すことは難しい。

 

しかし、本当の自分自身を肉体とするか、そこに宿る自在な魂とするかは、すでに自分自身の選択である。

 

そこも含めて私たちは自由。

選択は、思考だ。自分で決められる。