身近な大切な人が困っている

突然、いなくなったり

「もう死んでしまいたい」と言ってきたり

 

そんな人を助けたい、なんとかしたい。

でも怖くて何をしたらいいのかわからない。。。

 

 

恐怖は、未知への恐れや、過去の体験から起ってくる。

誰かの言動によって恐れが湧き起きるなら、自身の内面に不安があるのでしょう。

 

過去への後悔、未来への不安。

 

それが目の前の出来事によってあらわになってしまう。

今起きていないことなのに、感情は「今」湧いてくる。

 

心とは不思議なものです。

 

そしてだからこそ、目の前の困っている人を助けたいと思うのでしょう。

 

不安の中の自分と、目の前の困っている人が重なるからこそ、

 

助けたい。

 

 

そんな気持ちに私は応えたい。

 

 

怖い、怖いけど、何をしていいかわからないけれど、そうしたい。

助けたいのが自分であっても誰であっても、そこにある問題はたった一つです。

 

 

「死にたい」という言葉には、

死にたいと思うくらい辛い。そんな気持ちを誰にも分ってもらえなくて寂しい。

本当は誰に分かって欲しい。

という気持ちがあるのだと思います。

 

何があったのか判らない、だけれども、こんなに苦しくなってしまうまで

何かを我慢し、何かに耐えてきたのでしょう。

 

苦しかった

辛かった

沢山我慢してきた

だれにもわかってもらえないような気がしてた

だれかにわかってほしかった

だれかに優しくしてほしかった

 

そんな気持ち。

 

本人はそれさえも、自分の気持ちが分からなくなってしまった。

 

自分のことが判らない

心がモヤモヤする

不快な気持ちでいっぱい

 

それがとても辛いのです。

 

 

周りで何か出来ることがあるとしたら、

ああしたほうがいい、それをしてはだめだ、という方法や行動のことではなく

 

気持ちを判ろうとして差し上げることだと思います。

 

 

ただ、万人にとって正しい方法などありません。

 

あるとするなら、今、自分が一番強い、一番優しい、一番正しい、と思えること、それこそが絶対的な正義だと私は思います。

 

何が問題が起きた時、自分が今「これだ」と思ったことをしてみる。

 

それがどんな方法であってもいい。

 

 

その結果、どうなるかは判らない。

 

人生は本人のものだし、死も生も、根本では本人の選択であり、責任です。

 

そして、誰かの行動に対して、何かを感じたり、考えたりするのは、自分自身の問題です。

 

 

後悔のない人生などありません。

後悔は、出来事を通り過ぎ、経験によって成長した証。

 

いつか、過去を振り返り、

精一杯やった。

あのときはああするしかなかった。

これでよかったんだ。

 

そのようにいつか、過去の自分に対して思って差し上げられる自分になることが、自分への責任であり、誰にとっても優しいことだと思うのです。

 

 

そして、誰かの手助けをするときには、自分自身の健全さがとても役に立ちます。

 

いつでも自分を助け、励まし、支え、応援をする。

 

 

自身の健全さまでは誰かを導くことができます。

 

だからより健全であればあるほど、より多くの悩める方々の力になれるのです。

 

自分自身を愛している人は、同じくらい人を愛しています。

 

 

過去や未来の不安に、いついかなるときでも押しつぶされることの無いように、今、ご自身を愛してほしい。

 

 

私たちの奥深く本質には、とても繊細で柔らかであたたかなものが宿っています。

それは命あるもの、私たちすべてに。

誰かを助けたいと思うとき、そのことも思い出してほしい。