愛する、というのは、その人そのものを大切にしたい、困っているときに助けたい、頑張っているときに見守りたいという、相手を慈しむ気持ち。
その気持ちは他者だけでなく、自分にも向けられる気持ちです。
誰かに向ける愛を他己愛
自分に向ける愛を自己愛
人は誰かに愛されて愛されることを学び
その愛で誰かを愛していこうとし
愛することの喜びで
さらに人のためになろうと愛を広げていきます。
愛する、って気持ちは、放っておいて育つ本能の活動ではなく、意思を持つ人間だけが目的をもって出来る高度な精神活動です。
なので、その気持ちが芽生え発達していけるように育てていく必要があります。
しかしながら、問題を抱えた心に触れるたびに、年齢に関係なく心の幼さを感じます。
愛されたい、愛されていない、と感じると、寂しさ、悲しさ、嫉妬などの不快な気持ちが湧いてきます。
心は発達すべき精神性の窓口でもあるので、そこが不安で一杯だと成長が止まり、内面が困ってしまう。
それが心の問題となっていきます。
身体はすっかり大人。理性も育っている。
頭ではどうすればいいのか分かっているのに、心が不安で一杯。
立ち止まっているのも怖い
前に進むのも怖い
振り返るのも怖い
どうしていいのかわからずに、誰かの助けをただ待つしかない、暗闇で一人膝を抱えて泣いている子供のような心。
内面の大人と子供の葛藤。
相反する二つの気持ちのギャップ。
それが苦しい。
本来、親から愛され育つ心ではあるのですが、すでに大人になってしまったとか、親に期待が出来ないからといって落胆することはありません。
心は大人になってからは自分で育てることが出来ます。
誰しもいつかは、いつでも自分の心を安心させながら、成長させていくものです。
それに気づくことが私が考える心の自立です。
自分を愛することで、愛された喜びと、愛する喜びで心は大きく急速に成長していきます。
今からでも遅くはありません。
難しいことでもありません。
愛されたい気持ちに気づいたなら、年齢に関係なく自分を愛することを始めるられる準備が出来ています。
心の成長に少しでもお役に立てますように、このコラムでも自分を愛すること、他者を愛することについてまた少しづつ書いていこうと思います。
いつも読んでくださってありがとうございます。
愛と感謝を込めて