ここ一年で野菜を育てたり、庭木や花の手入れをする機会が増えました。
というよりも空いた時間のほとんどがそんな時間です。
わからないなりに土をいじったり、風よけをしてみたり。
あら、どうしたの?寒い?お腹すいたの?
何が必要かな。
自分で頑張れる?
うん。分かったよ。応援しているよ。
大丈夫。
いつもありがとう。
こんな気持ちで。
何をしたらいいのか分からないときはより一層、話しかけてみたり。
そんなことでも次の日にはなんとなく様子が違うのです。
こちらの気持ちに応えてくれているような微細な変化が、日を追うごとに見て取れて、植物にもやっぱり意識があるのね、とさえ思えます。
そんなとき思い出すのが聞きかじりの物理学。
物質をどんどん小さくしていって、それ以上分割できない物質の最小構成単位を素粒子というそうですが、その素粒子の面白い性質として、観察しようとすると動きを変えるそうなのです。
観察しようとすると動きを変えるなんて物質にもまるで意識があるのか?と素人の私は思ったのですが、物理的には観るということは光を当てることになり、光というのはこれまた光子という小さな粒子の集まりですので、その小さな粒子が素粒子にぶつかることで動く、ということのようです。
私が光を浴びてよろめく、なんてか弱きことは在り得ないのですが、それは人間が大きいからで、
ミクロの世界ではそれが起こっているのです。
ミクロとはいえ物質の最小単位ですから、地球に存在する物質、生命体すべてに共通する性質でもあるということです。
気持ち、意識も波動のようなものです。
波なら何かが動いていて、それはきっと素粒子よりも細かな細かな繊細な粒子なのかもしれない。
余談ですが、かのアインシュタイン博士は愛を宇宙最強の力と呼び、それを解き明かしたかったそうです。私もきっと意識の波動を作る粒子のようなものがあると思っています。
相手に興味を持つ、気に掛ける、知ろうとする。
その気持ちが相手の気持ちの変化を促していきます。
この世界も、
こんな花が咲いたらいいな
こんな景色があったらいいな
こんなものがあったらいいな
と誰かが思ったその意識、イメージから創造され続けています。
気持ちが向かなければ目の前の人も、この世界も存在しないと同じ。
なんだかんだいっても、自分も人も何かも動かすのは気持ちあってのこと。
気にかける。意識する。興味を持つ。知ろうとする。
気持ちを向ける、それがすべての作用の始まりです。
誰かが心配なとき、自分では何も出来ないと思うかもしれないけれど、
気持ちを向ける。
自分が困ったとき、自分に気持ちを向ける。
それだけで、奥深いところで、何かが起こっている。
目に見えて変化はしないけれど、それをひたすら信じ、小さな変化を受け取る。
同じ気持ちを向けるなら、
優しい気持ち、思いやり、慈しみといった優しさ、
愛を向けていきたいですよね。
どうしたの。
何に困っているの?
今、どうしたい?
見守っているよ。
いつかその愛は目に見え手に取るように現れていくと信じましょう。
いつも読んでくださってありがとうございます。
愛と感謝を込めて