自分の内面がゾワゾワとして、居心地が悪い感じ

 

不安とは、そんな心の中に湧いてくる言葉にならない不快な気持ち。

 

未来の予測からくる不安

過去の経験からくる不安

そしてそれらが根底にある漠然とした不安

 

湧いてきた不安を放置すればするほど、心身は弱り

心身が弱れば弱るほど、不安は増していきます。

 

不安があることや、不安になることがいけないのではありません。

 

また不安を含む感情や気持ちは、取り除こうとしたり、都合のよい言葉で言い聞かせてコントロール出来るものではありません。

 

なぜなら、感情・気持ちは【本能】だから。

 

どんな気持ちも感情も、当然に湧いてくる本能の動き、生命維持機能です。

 

感情や気持ちが非常に湧きにくい精神状態になることは可能ですが、根本的に取り除くことは生き物として無理なのです。

 

 

不安が湧いてくるなら、あなたは今とこれからを生きる力がある。

 

ただ、それをどうしたらいいのかわからなかっただけ。

 

 

 

嫌な気持ちがわいたとき、

 

何かを失ってしまうかもしれない

また失敗してしまうかもしれない

 

と、勝手に未来を考え、過去を思い出し、さらに自分自身を嫌な気持ちにさせてしまいがちです。

 

それらの頭でぐるぐるとするものは、不安ではなく、感情でもなく、【考え方、思考】です。

不安を感じるとそれを考えたくなる思考の癖です。癖なら直せます。

 

気持ち・感情と思考・行動は別です。それぞれ機能する脳も違うのです。そして密接な関係があります。

 

不安でいっぱいになると思考する脳は疲弊し、直線的で前向きな思考が出来なくなり、欲望にまかせた衝動的な行動が抑えられなくなったり、同じことを繰り返したりしていきます。

 

不安のない状態では、思考は論理的に流れ、本能的な欲望や衝動を抑制していきます。

 

私たちは本能にはなかなか手が出せないけれど、思考は意識的に変えられます。そして思考から行動、さらには気持ちをも変えることが出来ます。

 

 

例えば、小さな子供が真っ暗な部屋で一人で泣いていたら、どうしますか。

 

『弱虫だな』

『うるさいな』

『すぐ誰か帰ってくるから我慢しろ』

 

と放置したり無関心でいるのか。

 

『真っ暗で怖いね、一人ぽっちで淋しいね』

『一緒にいてあげるよ』

『きっともうすぐ誰か帰ってくるかもしれないね』

 

と寄り添ったり、見守っているのか。

 

この二つには無意識にある目的の違いがあります。

その子をより嫌な気持ちにさせたいのか、それとも少しでも心地よい気持ちにさせてあげたいのか。

 

 

本当にそうしたかったのか。

 

本当は何をどうしたかったのか。

 

これからどうしてきたいのか。

 

 

目的を明確にしようとすることから思考の始まりです。

 

そして、どうしたら自分のしたいことが実現するのか。

 

それらを考えるならいくらでも時間をかけてもいいと私は思う。

 

その自分に協力し応援し励ます味方になって出来ることからやってみる。

 

 

 

想像してみましょう。あなたが行動を変えたとき、

泣いていた子供の気持ちはどうでしょう。

そして本当にしたいことが出来た自分の気持ちはどうでしょう。

 

 

生き物は不安だと立ち止まり、安心があると自由になります。

 

 

安心とは、力が抜けるような、そして内側から力が湧いてくるような、未来が開けるような、そんなホッとする感じ。

 

 

今、自分を、相手をどんな気持ちにさせたいですか。

 

 

 

不安は未来のためにあるものです。