過去の過ちで今が苦しいのは、過去の過ちが原因ではない。
過ちを犯してしまうほどに、生き方が不健康になってしまった。心が不健康になると、こうするしかない・・・と、誰かを傷つけ、自分をも傷つける。
そんなはずはないのです。これからの人生をかけても誰かを傷つけるしかないなんて。もっと他に方法があったはずなんです。
でもそんな選択肢も浮かばない不健康な心の状態になってしまうほど、心が満たされなかった。誰かに優しくしてほしかった。愛されたかった。それが叶わなくて、誰かの何かを奪ってしまった。
本当の自分の気持ちを我慢し続け、無関心できてしまったことが、罪を犯し、今まで苦しみ続けてしまった原因。
愛に満たされていると、自分を苦しめること、傷つけることをしようとしない。光を放つように自由に生きていく。人は本来そのような存在。
しかし、愛なく生きていくには人は弱すぎるのです。
心は価値判断の届かないところ。善悪の価値判断がないところ。どんなことをしても生きようとする命の近くにある。
法の届かない心において一番の罪は、自分を責め続け、変えようとし続け、否定し、鞭打ってきたこと。ただ、生きていきたかった、愛されたかっただけの命と心を、そうやって蝕んで来てしまったこと。
自分の本当の気持ちを無視し続けてきたこと。。。愛されたい!!!
償いの道があるならば、唯一、自分を赦し、そのまま愛していくこと。今までずっと自分に罪を与え続け、罰を負わせ続けてきた、そうしなければ生きてこれなかった。だから、その自分を赦し愛することは、とても怖いことだと分かっている。それでも、何をしても苦しかったのなら、もがいてもがいてここまで生きて来たのなら、今見える目の前の道を見て欲しい。
自分が自分を赦し、自分に優していく。自分がそれを選んだ時、自分が与えた罪と罰から赦される。
そこから、今まで生きて来た自分がどう生きていくべきなのか、大切にされる、愛されることを知ったとき、正しく自分の行いに向き合え、本当の人生を生きることが出来る。罪をも赦すその愛は深い。その愛を還元していくことが罪の償いだと私は信じる。
術がなく立ち止まった時、ルーム・ソルはそこにあります。
愛と感謝を込めて
小坂田恵理