いつから人は、誰かの生き方、選択とその結果に、価値判断を下すほど、偉くなったのだろう。
何故そこまで、冷酷になってしまったのだろう。
何故そこまで、愛から遠ざかってしまったのだろう。
価値判断は、欲求不満、自己愛の欠乏。
スゴイと思われたい
いい人と思われたい
正しいと思われたい
満たされない欲求を、誰かを何か判断し埋めようとする。
こうするべきだ、ああするべきだ、
きっとこうなるに違いない
ほらやっぱりそうなった
だから、
私はやっぱりすごい
私はやっぱりいい人
私はやっぱり正しかった
その価値判断は、過去の自分が作り出した亡霊。不安と恐怖をあおるだけの幻。
誰かに過去の自分を投影し不安と恐怖をあおり得るものは、ただ不安と恐怖。それが欲しかった愛なのだろうか。
何故、そんな亡霊さまよう愛の僻地にいつまでも自分を置いておけるのか。
いつまで取り残されたようにそこにいるのか。
いつまで自分に愛を乞わせるのか。
いつ自分を愛するのか。
誰かに価値判断を下したくなる時、自分をもっともっと大切に出来るんだ、ということに気が付いて欲しい。
もっともっと自分を愛していいのだと。
過去とは、過ぎ去るもの。過去の自分を赦し、もう手放していい。もう十分頑張った。そして、ここまで来た。もう、過去の不安と恐怖の中で、自分の人生を生きなくてもいい。
今まで何をしてきたか、どうして今そうなってしまったのか。そんなことは誰よりも自分自身が全部分かっている。
大切なのは、今まで生きて来たあなたの今とこれから。
真の愛には価値判断など無い。選択を応援し、見守り、絶対的な安心であなたを包む。
ありのままの自分をそのまま全部。
それを人は神とも、内なる宇宙とも、味方ともいう。
それは自分の中にあって、自分と共にある。
今、あなたがそれになる。
人は愛で満たされたとき、自分と自分が一つになる。
欲求から解放され、ただ自分の愛を表現することだけに専念する。
誰かの自分の人生に価値判断を下しながら僻地をさまよい過ごすには、人生はもったいない。
愛と感謝を込めて
小坂田恵理
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