ニワトリが先がタマゴが先か?
宇宙の始まりは?ビッグバンの前には何が?
こうした生命の謎はいつもゼロには戻らず、階層を作りながら循環していく螺旋階段のよう。
そして生命のエネルギーが見えるのであれば、そのような動きをしているのでしょう。
理性は常に答えを求めようとします。さらに心が弱っていると早く答えが欲しくなり理屈で考えていきます。
心が弱った分を理性が補うかのように、心の健康についても頭で理解しようとします。
例えば、
心を健康にすると、生き易くなる。自信が回復し、希望も湧いてくる。
他者とのコミュニケーションもとりやすくなる。
それならば、
心が弱っていたから、人に嫌な気分をさせていたのか
心が弱っていたから、病気になったのか
自分を大切にしなかったから、今自分は幸せではなかったのか
心が健康にならないと、幸せになれないのか。
と、思われがちです。
しかし、それは解ではありません。
足し算、引き算のような閉じた計算式ではないのが、こころ、命のこと。
今、心が弱っていたら、
自分を大切にすれば、もっともっと健康になれる
健康になれば、もっともっと希望が湧いてきて、出来ることが増えて、幸せと感じることが増える
自分をもっともっと幸せにすることができる
そう考えるととても自然で、ホッとしませんか。
ホッとするというのは安心。命に余計な力が掛かっていない、命の動きに沿っている、命にとって正しいというサインです。
命は階層を作りながら循環する力。
同じところを通過しているようでも同じではありません。
自分が知らないところで進化しながら進んでいます。
その動きに理性がどう協力をするのか。
無意識を意識化したとき、進化は加速します。
理性と本能、そして体の三位一体。
ご自身を安心させるとは、自分の進化を赦すことにもなるのかもしれません。
理性を持ってしまったためにヒトは自然界から離れ、自然界から離れてしまったために、本能で保っている自然界とは違う独自のバランスの確立を模索していく必要があるのでしょうね。
あなたはどうお考えでしょうか。
ルーム・ソル 小坂田 恵理