私はパンという何気ないこの言葉にこそ、人生にとって重要な深い意味を持っていると思う。
というのも、この日常的な、小さな、それでいて誰もが日に幾度も口にするこの言葉が意味することは、生命力の源、生きていくのにどうしても必要なもの、懐かしい思い出の混ざった優しい味わい、多くの人々と食卓の喜ばしい記憶など、すべてよきものばかりだからだ。
パンという言葉のそういう特別なたいせつさは、イタリア人が誰かある人を本当によい人だとして全面的に賞賛するとき、「あの人はパンのように善い人だ」と言うことにもはっきりと表れているのだ。
ヘルマン・ヘッセ 「人生の言葉」からの抜粋
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今、食への関心が高まり、色々な食べ方、調理の仕方、食材などの情報があふれています。
健康を考えるとき、多くの方は食べ物を変えようとします。
これを食べれば健康だ?
これを食べたから病気になった?
いいえ、不健康さは食べ物のせいではありません。
今、目の前の食事を、あなたはどんな気持ちで頂いていますか。
テレビを見ながら、スマホを弄りながら無意識で食べていませんか。
ただ闇雲に詰めこんでいませんか。
頭の中で愚痴を言いながら食べていませんか。
自分自身に対する態度が、自分自身を健康にも不健康にもしていきます。
食べ物には記憶や気持ちといった情報が載っていて、最終的にはその電気信号が身体を作り、心身の栄養になります。
その食べ物がどんな風に作られてようとも、そこには必ず愛があります。
慣行農法での野菜や果物にも命があります。それを育てた農家さんの愛があります。
例えインスタント食品であっても、技術者さんに愛がなかったとは到底思えません。
もし、目の前の何かを否定する気持ちがあるならば、誰かが誰かを想っただろう優しさを見出してみてください。
その食材の命
それを作ってくれた誰かの気持ち
それを運んで来てくれた誰かの気持ち
そして、それを頂くときの自分の気持ち
情報は上書きされて、最後の気持ちが自分自身に届きます。
優しさは安心を生み、否定や無関心さは飢餓を生みます。どんな気持ちでもそれは全て愛の現れであり、正しく自分に届きます。どんなものにも愛がある。純粋な愛であればあるほど気持ちはホッとします。
あなたはどんな気持ちを最後に自分自身に届けたいですか。
食事から健康を考えるとき、食べ物だけではなく、大切なのは「食べ方」です。自分を助けよう、という自分を大切にする気持ちが治癒を根本から起こしていきます。
自分を大切にする気持ちをもって、自分自身の味方となったあなたが、食べ物や物や治療法を選択出来たら、どんなことでも助けになる。私はそう信じています。
ルーム・ソル 小坂田 恵理