普段から温厚な知人の話です。

 

散歩中、公園の藤棚の下でくつろいでいたところ、園のお散歩でやってきた園児たちがそこに集まってきて居場所がなくなってしまった。園児のすることだからそれはいいのだけれど、それに対して何も発しない引率の先生には気分が悪くなった。

一言、先にそこに居た者に挨拶や詫びの言葉があれば何でもないことなのに、なんだか追い出されたような気分になりながらも、そんな気持ちを呑み込んで立ち去った。

 

ということでした。

 

たった一言が足りなくて、立たなくてもいい感情が立ってしまう。

 

無視、無関心

見ればわかるでしょ

察してよ

 

そんな自己中心的な場面が多い最近です。

 

「こんにちは」

「お邪魔してすみません」

「ここ、いいですか?」

 

何気ない一言が人の気持ちの優しさを促すような気がするのです。

 

日本にはそれが当然のようにありました。

 

誰かを優しい気持ちにする。それが気遣い、思いやり、おもてなし、なのではないかしら。

 

確かにそんな一言を発するのも勇気がいる現代でもありますが、優しさの広がりが治安を生み維持に繋がります。

 

日本の治安の良さが海外でも評判になっていますが、それは先人達が残してくれたもの。

 

無くなってしまったと感じるのならそれは私たちの責任。誰のせいにもできません。

 

だからこそ、少しづつ思い出し引き継いで大切にしていけるのも私たちです。

 

子どもたちは、良いも悪いも大人を手本にします。

 

今が未来を作ります。

 

出来ることから少しづつ、自分の中の優しさを見つけていくこと、始めてみませんか。

愛と感謝を込めて
ルーム・ソル 小坂田 恵理